TTL でCPUを作成、16bitの手作りコンピューター TANACOM-1 誕生

easy-4会談

2012年の奇跡 EASY-4製作者様とご対面

「徒然」に書きました様に、TANACOM-1 を設計・製作する上で、大いなるお手本となったのが、電波科学に連載された「 EASY-4 」だったのです。

何とこの度、偶然にも、EASY-4 製作者様が、当HPを発見され、ご連絡を下さいました。
そして、何回かのメールのやり取りの後、2012年ゴールデンウィーク頭に、秋葉原にて、初のご対面となりました!!

まさか34年ぶりに、大いなるお手本の原作者にお会いすることが出来るなんて、奇跡としか言いようがありません!!

秋葉原・某所で行われた対面内容を、以下に対談風に書いてみました。
下記表現では、当方を「田中」、EASY-4 製作者様を「根飛(仮名)」と表しました。

秋葉原会談ツーシット
顔隠しは、合成です。変なお面を被っての撮影ではありません(笑)



田中:はっ、はじめまして(緊張しながら、感激しながら)

根飛:どうも!まさか30数年前の自分の作った EASY-4 がHPに取りあげられ、また賞賛していただき、本当に驚きました。
そして、とうに消滅したと思っていた「TTLで自分だけのコンピュータを作る」と云う文化が、まだ存命していた事に、感動しました。

田中:HPにも書きました様に、私は、EASY-4 の記事に出会っていなかったら、TANACOM-1 は、机上の図面だけに終わり、実物は完成はしていなかったと思います。
本当にありがとうございました!

田中:現在、EASY-4 は、健在でしょうか?

根飛:はい、在ります。但し、30年以上動かしていません。相当な埃をかぶっています。


当日、写真を見せて頂きました。これが 2012 年現在の EASY-4 です!
EASY-4 全景
中央に EASY-4、左が VRAM ボード、天井裏面に メイン RAM ボード



田中:EASY-4 が作られた経緯をお教え下さい

根飛:ハード屋とソフト屋が集まりMCOTという会を立ち上げ、手作りコンピュータを作ろう、となりました。会合の度に、こんな機構はどうだろう、あんな命令もほしいね、と構想はどんどん膨らむ一方でした。
これでは、いつまで経っても、物が完成しないと思い、会とは平行して、根飛だけで、設計・製作したのが、EASY-4 だったのです。
機能はシンプルで構わないから、とにかく、目の前で動く CPU を目指しました。
EASY-4 が完成してからは、ソフトを作ったり、会のメンバーと手分けして、(電波科学への)記事を書きました。

田中:根飛さんは、ソフト屋とお聞きしましたが、ハードのご経験はどれくらい?

根飛:実は、1973年トランジスタ技術に掲載された「8bitコンピュータATOM-8」を作ったのが、初めての論理ハード製作でした。ATOM-8を作ったお陰で、ソフトとハードの関係を深く理解できるように成り、12bit~16bitに拡張したATOM-12 やATOM-16 を構想するほどでした。私のATOM-8は、56ピンのユニバーサル基板1枚に全回路を載せた、文字通りワンボードマイコンでした(後記)。
ATOM-8の完成が自信となり、次の EASY-4 に挑戦しました。

田中:ATOM-8の次が、即 EASY-4 だったのですねー、凄過ぎです(笑)

田中:設計から製作まで、6週間とお聞きしましたが、すごく早かったですね

根飛:予定では4週間だったのですが,1.5倍かかりました。 ATOM-8 製作の経験、 TexasInstrument のTTLマニュアル、MCOTでの勉強会を通して、レジスタ回路、カウンタ回路、制御回路など、ブロック単位の回路は研究してましたので、実際EASY-4 のアーキテクチャを決めてからは、回路設計は、スムースに出来ました。

田中:EASY-4 の配線に、ワイヤリング・ペンを使われたのは、根飛さんの独自のアイディアだったのですか?

根飛:EASY-4 を作り始めようとした、丁度その頃、どこからか「ワイヤリング・ペン」を使った配線方法を聞きつけ、1~2回、簡単なIC回路で試してみたら「これは、便利だ、使えるぞ」と判り、即 EASY-4 に採用しました。よって、私のアイディアではありません。
また、当初 IC の固定は、プラスチック板とビス・ナットで行いましたが、後から、「瞬間接着剤」を使えば、工作手間を相当省けたなーと、反省しました(その後、2代目のメイン・メモリーボードは、そうして作りました)。

田中:根飛さん達の連載記事を見て、実際、EASY-4 を作られた方は、おられますか?

根飛:記事掲載後から2年間ぐらい、2~3人の方から「今、EASY-4 を作っています」という状況だよりや、「回路の詳細についての質問」の便りを頂きました。
但し、その後の「動作しました!」の便りは、いづれもありませんでした。

田中:21世紀の今、もし余暇の時間が増えたとして、EASY-4 の次を作るお気持ちは、ありますか?

根飛:もし、時間的余裕が出てきたならば、作ってみたいと云う思いは、正直あります。
今度作るなら、32bit 長の CPU とし、UNIX とか、載せられたらなーと、夢見ます。

田中:32bit ですかー!、私も TANACOM-2 を作ってみたい夢はありますが、部品点数と配線量からして、16bit が手頃(限界)と考えております。私も出来たら、UNIXかMINIXを搭載したいと夢見ます。
でもまさか、配線は、ワイヤリング・ペンとか?

根飛:えぇ、2枚のアルミ板上に、ICを載せワイヤリング・ペンで配線します。そして、真ん中から2枚を閉じ合わせラック?に収容します。確かに、部品点数と配線量は、相当増えますが、配線については、それほど苦痛だった印象が無いのですよ(楽しいだけ)。

田中:私は、配線は、後半地獄の苦しみだった記憶があり、次は絶対プリント基板で・・・と、思ってしまいます(笑)。

以上、
楽しい話は、尽きなかったのですが、あっという間に、予定時間が過ぎ、残念ながら散会となりました。


根飛氏からまたメールを頂きました①



あれから根飛さんは、ご自宅で昔のダンボールを探っていたら、EASY-4 の関係資料が数点出てきたそうです(ご本人もビックリ)。
これらの写真を送って頂き、このHPでの掲載の承認頂きました。


①根飛さんが当時使われていたワイヤリング・ペンとピンセット

ペンとピンセット


根飛さん曰く、このピンセットは医療用らしく、ピン先のこの形状が配線作業に於いて、非常に使いやすかったのです、と力説されました。
私は、普通のストレート形状のピンセットで配線してまして、可も無く不可も無く、だったのですが、確かにこの「医療用」は、良さそうですね・・・(今さらですが)。


② EASY-4 ブロックダイヤグラム

ブロックダイヤグラム


手書きの生のブロックダイヤグラム図です。
35年は経過しているはずですが、蛍光ペンの色が、あまりあせていませんね。
当時の雑誌「電波科学」に掲載されたブロックダイヤグラム図は、編集者側で、それらしく清書されていましたので、生の図を見られて、改めて感激しました!


③CPU 制御ブロックの論理回路図

論理回路図


これが、EASY-4 の一番の中枢回路の様です。
各レジスタ、カウンタ、ALU への制御信号を汎用ロジックの組み合わせで作られています。
右半分には、フェーズ P0 ~ P3 と各命令ごとの、信号線を表に整理されているのが覗えます。
当時、お仕事で使っておられた電算のプリント失敗紙を利用して、お書きになっておられるのが、面白いです。

回路図や配線図?など本当は、まだ沢山あったでしょうが、辛うじて綺麗な姿で残っていたのは、これ位いだったそうです。


④仰天?、私が35年前に送ったファンレター

ブロックダイヤグラム


これが一番驚きました。
何と35年前、当時私がまだ TANACOM-1 を製作し始めの頃、雑誌「電波科学」の EASY-4 の製作記事を読んで、根飛さんが所属するMCOT 会事務局宛に送ったファンレターなハガキでした。

当の本人である私は、ハガキを出した記憶が全く無い(忘れている)のですが、ハガキの「小生意気な文章」、「子供っぽい汚い字」を見ると、十分に「これは私だ」と思え、根飛さんに再確認したのですが、「えぇ、間違いなく田中さんでしたよ」と。
今見ると、変な文章だし、字汚いし赤面しますね。

でも、35年後に秋葉原で根飛さんとご対面するなど、当時の自分には想像すら付かなかっただろうと思うと、とても不思議です。


今回のメールは以上でした。
本当は、根飛さんに EASY-4 の回顧録を書いて頂いて、このHP上に掲載をと、考えているのですが、日頃とてもお忙しくされておられる様で、書く時間が取れないご様子で・・・。
また、根飛さんから EASY-4 のお話が届いたら、皆様にご紹介いたしますね。



根飛氏からまたメールを頂きました②

2013年12月、久しぶりにメールを頂きました。
そこには、EASY-4の出生の秘密が・・・(笑)、

根飛「私のATOM-8の思い出」
富崎新氏の製作された ATOM-8 を作った思い出をまとめてみます。
実はハッキリした記憶が残っていません。なぜなら、製作は特別な苦労もなく出来たが、実際長くは使わなかったからです。
ATOM-8がトラ技に掲載されたのは1973年5~7月号ですが、同時進行で作ったのではなく、1年程経って、TTL-ICを認識し、コンピューターを作りたいと強く思うようになり作り始めました。
富崎新氏のは数枚のボードに分けていましたが、私は1枚にしたので、手間や費用面でより容易に作れました。
この基板は、この様に残っています。(一部、半田付けが取れてます)。

ATOM-8表
ATOM-8裏



当時の作成用全体回路図も残っていますが、数箇所の書き込み(回路/命令変更(案?))があります。
掲載回路図通りか、変更して作ったのかは定かでありません。
ATOM-8のメモリーは32Byte ( 32Mでも32Kでもなく32です!)で、使ってみる、即ち何らかのプログラムを組もうとすると、このサイズが制約になり、歯がゆい思いをした事を覚えています。
そこで、前述のように、12~16bit化の拡張を検討しました。
それと並行して、並列化( ATOM-8は1bit直列 )、Data/Address-BUS化、命令などの拡張を検討し、EASY-4の設計・製作に至りました。

EASY-4の製作のため、ATOM-8のフロント・パネルを流用する決断をし、つまり、ATOM-8を壊してフロント・パネルを途中で切断して、SWパネルにしたようです!( 下記 EASY-4の写真から ATOM-8を推測してみました )。
その為、ATOM-8は基板しか残らなかったという訳です。

EASY-4パネル



今回のメールは以上でした。
何と ATOM-8 での歯がゆい思いが EASY-4 を作る起爆剤になっていたのですねー。
でも、まさか ATOM-8 のパネルの一部が EASY-4 に融合されていたとは・・・!
当時の写真を見て、ご自分のとった行動を推測されているのは、気持ちが良く判ります~。
ありがたいメールでした。


EASY-4の動画がYouTubeにアップされました!

根飛さんがついに、EASY-4の動画を完成されました!!
その動画はコレです。



30数年前の資料もうまく取り混ぜられ、BGMも付いて、カッコ良い感じです。
ぜひ、ご覧ぐたさい!!



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