TTL でCPUを作成、16bitの手作りコンピューター TANACOM-1 誕生

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コンピュータに興味を持ったきっかけは

私が中学生当時、NHK教育テレビで東京大学教授 森口繁一氏による「NHKコンピュータ講座」が放映されていました。
FORTRANによるプログラミングを教えており、TTY端末(テレタイプ社のASR-33 ?)がジャカ・ジャカ・ジャカとリストを打ち出すシーンなどを食い入る様に見ていました。
この時に、コンピュータって、カッコイイ!と、虜になってしまったのです。

番組の中では、森口先生の優しいお人柄が印象的でよく覚えています。
残念ながら、森口先生は2002年に他界されたとの事でとても寂しく感じます。


当時コンピュータを自作するという潮流はあった

私が高校生の頃には、自作コンピュータの製作記事が数件ありました。
当時の手作りでは、ユニバーサル基板を使い実装するのが主流でした。
そのため、配線数が少なくて済むシリアル方式(レジスタ間のデータ移動を1本の線にて)が多かったと思います。

ラジオの製作

月刊誌「ラジオの製作」の1974年頃に連載されていた、鳥光広志著「コンピュータを自作しよう・・・製作しながら学ぶ、コンピュータ入門講座」

ラジオの製作    REAC-8

最初の頃は何と、トランジスタによるフリップフロップ回路をプリント基板に作り、実験するところから始まるのです。製作が本格的になると全てロジックICに置き換え、プリント基板とユニバーサル基板にて構築。

機名 REAC-8
シリアル方式 8bitマシン
アキュームレータ1個、命令部 4bit、アドレス部 4bit
実装 36ピンプリント基板をシャーシに装備したコネクタに挿して結線

特にこのREAC-8では、実装方法、シャーシの組み方、表示部のパネル、スイッチレジスタ、LEDの配置など勉強になりました。


つくるコンピュータ

1976年発行CQ出版社「つくるコンピュータ」

つくるコンピュータ

この本は、今でも持っていらっしゃる方が、少なからずおられるのでないでしょうか。
その中でも

機名 ATOM-8
シリアル方式 8bitマシン
アキュームレータ1個、命令部 3bit、アドレス部 5bit
メモリ SRAM Intel 1101
実装 28ピンユニバーサル基板 6枚をコネクタに挿して結線

このATOM-8は、記事を見て実際に作られた方が何名もいらっしゃるのではと思います。
アドレス空間は5bitですが、それなりのプログラムを組むことが出来たので、実際に作られた方はとても勉強になったと思います。
私自身は、この記事よりSRAMのアクセスタイミング等が参考になりました。

機名 TC-1
シリアル方式 8bitマシン
アキュームレータ1個、命令部 4bit、アドレス部 4bit
メモリ シフトレジスタ群
特徴 ダイオードマトリックスによるマイクロプログラム方式

このTC-1が一番スゴいのが、何とマイクロプログラム方式なのです(マイクロプロセッサーを使うのではないのですよ)。コンピュータ内部の動作をダイオードマトリックスを使ったプログラムにて、実現しているのです。
TANACOM-1は、古来の「ランダム論理」によるワイヤードロジック方式で実現しています。そのロジックの論理式を書くときに、このTC-1の記事が非常に勉強になりました。

本の後半は、マイクロプロセッサーを使ったマイコンの記事になるのですが、その中で、ビデオディスプレー、ライトペン、カセットインターフェースなどが、私にとって非常に参考になりました。



本格スタートは高校3年生の夏

カウンタやシフトレジスタ用ICに、簡単なSWとLEDを仮配線し、真理表を見ながら1個1個の動作を確認しました。
これと並行して作るコンピュータのアーキテクチャを考えます。
アキュームレータ1個、インデックスレジスタ1個という構成にし命令セットを決定しました。
これで回路の基礎部分の設計スタートとなりました。
また実装方法としては、44ピン両面基板に各ユニットを載せシャーシに装備したコネクタに挿して結線し、全体を組み上げる方法にしました。


大いなるお手本 EASY-4との出会い

大学入学前の春休み、当時私の父が測量会社をやっておりまして、その手伝いアルバイトとして鹿児島県鹿屋市に、2週間ほど出張しました。宿舎に戻ればやることがなく暇だったので、町の本屋に読めそうな本を探しに行きました。
小さな本屋でしたので品数が少なく、しかたなく(失礼)手にしたのが雑誌「電波科学」でした。
日頃は「初歩のラジオ」「ラジオの製作」しか見ていなかったので、その「電波科学」の中に、EASY-4の記事を見つけたときは、衝撃でした。
EASY-4とは、オールTTL-ICで作る、16bit手作り COMPUTER だったのです。
「手作りで COMPUTERを作る」 まさに今、自分もやろうとしている事!
本を買って、心臓をバクバクさせながら、宿に戻り、記事の一字一句なめる様に読みました。

すばらしい先駆者、大いなるお手本

その後、雑誌の連載を追っかけるに連れて、その全貌が明らかになってきました。
コンピュータ大好き技術者が、数名集まって、MCOTというクラブを作り、彼らが作った EASY-4 の、設計・製作記でした。
ペンネームは、「根飛雄太」と記されてました(こんぴゆうた ?)。

まず最初に驚いたのは、EASY-4の実装方法が、とてもユニークだったのです。

EASY-4

それは、

  • 1枚の大きなアルミ板に、ICをひっくり返して配置
  • 配線に、ワイヤリングペンを使用

これは、すばらしいアイディアです。
TANACOM-1では、44ピン両面プリント基板(一部ユニバーサル)とコネクタを使いシャーシ内で結線する方法を予定していました。これと比べると、EASY-4方式が格段にシンプル ・・・ 雲泥の差 !!
さっそく、TANACOM-1でも、EASY-4の実装方式を、採用する事にしました。

さて、次にショックを受けたのは、EASY-4のアーキテクチャでした。

EASY-4

注目したのはレジスタ構成とALUの位置でした。EASY-4のそれは良く出来ていて、シンプルな構成ながら多様な命令が作れる、すばらしいものでした。それはTANACOM-1でやりたい事を、TANACOM-1で考えていた回路よりも、少ない部品で、少ないクロック数で実現できる可能性を見せられたのです。
頭をガーンと殴られた思いでした。

そこで直ちに、レジスタ構成とALUの位置、それに関連してアドレスバス、データバスを、EASY-4形に変えて試案してみました。
するとTANACOM-1は、インデックスレジスタが汎用レジスタとしても使える様になり、ALU周りとバスラインの部品数が減る事が判りました。もちろん、計画している命令は100%実現可能です。

頭を一度冷静にした上で、TANACOM-1のアーキテクチャのうち、レジスタ構成、ALUの位置、アドレスバス、データバスを、EASY-4形に変更することを決めました。

TANACOM-1とEASY-4 の違い

EASY-4形に近づいたTANACOM-1ですが、命令セットなどアーキテクチャのその他の部分は、それぞれ独自ですので、違いが出てきます。


■ TANACOM-1 の命令形式( メモリ参照系 )

15 14 13 12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 0
0 OP Code R1/
R0
Ix Id M/
im
Address or  immediate
( 0 ~ 255 )

■ EASY-4 の命令形式

15 14 13 12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 0
OP Code Modify Address
( 0 ~ 1023 )



○ 両マシンの比較

仕   様TANACOM-1EASY-4
汎用レジスタ数22
データバス幅16 bit16 bit
アドレスバス幅16 bit16 bit
命令数2616
OPコード8 bit6 bit
オペランド8 bit10 bit
ページの大きさ256 word1024 word
メモリ容量最大32K word最大16K word
インデックス参照
間接参照
間接インデックス×
イミデート(即値)×
条件フラグZero、Minus、CarryZero、Minus
割込機構○ ( 1レベル )△ ( 疑似1レベル )
クロック回路水晶10MHzRC
実行フェーズ数3 ~ 6 変速4 固定
1命令平均速度1.2 μs7.5 μs



よって、ここから先は、TANACOM-1とEASY-4とも、それぞれの道へ別れます。

その後、EASY-4の連載は続き、ビデオディスプレー (アドテック社 TVD-02 、32文字16行表示) 、紙テープリーダー・パンチャー、ミニプリンタを搭載し、 Tiny Basic に似た 彼ら独自のプログラム言語 VTF (Very Tiny Fortran) を組み込むところまで続きました。

面白いのは、記事のタイトルが「マイクロコンピュータ製作教室」となっています。中身はもちろんマイクロプロセッサーなど使わず、歴っきとしたオールTTLのCPUです。たぶん、「手作りの小さな」を表現されたかったのでしょう。

今思えば、このEASY-4に出会えたことで、TANACOM-1が完成までたどりつけたと思います。
EASY-4には、大変感謝しております。


EASY-4を作られた「根飛雄太」さんにお会いしたい!

電波科学に掲載された根飛雄太さんの「マイクロコンピューター製作教室」の記事に関する情報を調べてみました。

  • 1977年 1月号 ①コンピュータ入門(基礎編)
  • 1977年 2月号 ② 〃(ハード編)論理数学
  • 1977年 3月号 ③ 〃(ハード編)組み合わせ回路
  • 1977年 4月号 ④ 〃(ハード編)順序回路
  • 1977年 5月号 ⑤ 〃(ソフト編)
  • 1977年 6月号 ⑥ 〃製作(CPU編)設計1
  • 1977年 7月号 ⑦ 〃製作(CPU編)設計2
  • 1977年 8月号 ⑧ 製作
  • 1977年 9月号 ⑨ 製作(周辺回路編)
  • 1977年10月号 ⑩ プログラム応用1
  • 1977年11月号 ⑪ プログラム応用2
  • 1977年12月号 ⑫ プログラム応用3

私が、偶然、手にしたのは、その4月号でした(出会えて良かった~!)。

この根飛雄太さん、もしくは所属するMCOT会メンバーとおぼしき方が、別のマイコン雑誌「I/O」にも、彼らが作ったVTF( Very Tiny Fortran )の記事を連載されていました。
ペンネームは「根飛面平」とされています。

  • 1978年12月号 Very Tiny Fortran の作り方①
  • 1979年 1月号  〃 ②
  • 1979年 2月号  〃 ③
  • 1979年 3月号  〃 ④

この時のVTFは、日立のマイコントレーニングキット「H68/TR」で動く様に、移植されたものでした。

彼らは、今、どうなさっているのでしょうか?
本当一度、お会いしたいものです。
彼らの「 EASY-4 」は現存していたら、ぜひ見せて頂きたい所です。
記事の文面からは、そのMCOT会の事務局の所在は、神奈川県川崎市と記されています。

どなたか、MCOT会の彼らをご存知の方、おられませんか~??、と独り言でございます。 願いは通じ、2012年 4 月に、EASY-4 製作者様とご対面出来ました!(見る)

大いなるお手本に、34年ぶりのご対面!?

当サイトの掲示板において、訪問者様からのご質問をきっかけとし、「 EASY-4 」の掲載された雑誌「電波科学」を全て閲覧する事に成功しました。

EASY-4の全資料

蔵書にそれがストックされている公的図書館を近県で検索してみると、福岡県立図書館がヒットしました。
さっそく出向き、「 EASY-4 」の連載1年分の全てをコピー出来ました。
当時見逃していた記事とも、34年ぶりのご対面となりました。
不明だった部分も判明し、調べて、何かホッとした、気持ちです。

その中で、特に面白かったのは、「 EASY-4 」の名前の由来が、判明したことです。
「 EASY-4 」とは、「簡単に、4週間ほどで、作れてしまう、気さくなコンピューター」と云う意味でした!
その内訳がまた、凄い。

  • 第1週目・・・設計
  • 第2、3週目・・・部品の購入と製作
  • 第4週目・・・仕上げとデバッグ

実際は、1975年10月頃から始め、完成までに、6週間かかったと、記されていました。
それでも、6週間は凄すぎる!
当時、MCOT会員は20数名いたそうで、手分けして、作られたのでしょう。
謎はだんだん解けました!(こちらを)

復活の時、2009年

 倉庫に眠っていたTANACOM-1 を引っ張り出してきて、恐る恐る電源を入れてみました。
でも、案の定、全く反応しません。パネルのLEDは何個か点灯するのですが、動作が全く異常です。
ここから大改修が始まりました。

  • ブロックごとにバラして清掃
  • パネル用LED48個を全て、新品に取り替え
  • メインメモリLSIが清掃中に破損。結局、新たな32Kwメモリを設計製造
  • 動作が怪しい主電源装置を廃棄し、ATX電源(現在パソコンの電源としてよく使われているモノ)に選手交代。
  • 2個のロジックICが死んでいるのを発見。新品と交換する
  • クロック回路も不安定だったので、作り替える
  • クロック回路を超低速にして、各命令動作が正しく行われるかを点検
  • キャラクターディスプレーが、現代の14インチ液晶テレビに出力できるように大改造
  • カセットテープ回路が腐食していたので、別途回路を新設

これら大改修のおかげで、TANACOM-1 が21世紀に蘇りました。
改修の途中途中、動かなかった回路が、少しずつ生き返り、実行できる命令が1つ1つ増えていく様は、まさしく、30年前に自分で体験した、TANACOM-1 が出来上がっていく状況にそっくりでした。そして、命令が1個動く度に「これも動いたー」と飛び上がってガッツポーズをする、様子まで、一緒だったのです。



読み返すと今でもワクワクする本  「超マシン誕生」

その本とは、32ピットスーパーミニコンピュータを1年で開発しようという男たちのドキュメンタリーで、1982年にピューリッツァー賞を受賞したものです。

超マシン誕生

私は1983年に購入し、毎晩寝る前に1時間ずつ読むのが好きでした。
ハードウェアチームが必死に頑張り、プロトタイプ機が完成間近になった頃、ソフトウェアチームがこっそりアドベンチャーゲームを試すが、動かずしょんぼりして戻るシーンなど、「判る判るぞ!」と勝手に盛り上がって読んでいました。
自宅の本棚に立つこの本を目にすると、今でもニンマリしてしまいます。

2010年 新訳・新装版「超マシン誕生」もすばらしい!

超マシン誕生

根強い読者からの「復刻」の要望にめずらしく答えて、2010年の出版された様です。
出た当時は、「現物持ってるし~」と気にしていなかったのですが、各方面のブログの反響もあり、誤訳等の手直しや、また訳者の味もそれぞれ、との事だったので、当方も「それは買わなきゃ」と手に入れました。
読んでみると、目次の言葉遣いから、違いが有り、改めて、楽しい一冊となりました。



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